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昭和30年代のこと、上野街道北山上るに、だいこん山と云うのがあって、小学生前後の子供達が近所のがき大将に率いられ、徒党を組んで方々より遠征して集まって来ていた。すぐ北には立命館大学の馬場があり、馬を眺めるのも退屈しなかった。
のっぱらに高さ4〜5m幅8〜10mの小山が200m余りも続いていたであろうか。雑木や雑草に覆われた一帯は子供達の絶好の遊び場であり、陣地を築き余所の子供達との勢力争いを繰り広げたものである。
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太閤秀吉が築いたお土居(おどい)の跡だが、当時の悪がきにとってそんな事は、一向におかまいなしで、大人の目がないのをよいことに穴を掘ったり罠を仕掛けたり、やりたい放題の子供の天下であった。
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お土居は昭和5年に8カ所、さらに昭和40年に1カ所が京都市の史跡として指定されているが、ここはその指定から外れている。子供の遊び場として配慮したわけでは無いだろうが。
馬場の跡は今は子供達が遊びながら交通ルールを学ぶ大宮交通公園となっていて、懐かしい市電も保存されている。だいこん山も公園の一画に残されており、休日には親子連れで賑っている。
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加茂川中学の北にもお土居があり、こちらは蛇がたくさんいた記憶がある。玄琢下(げんたくした)の交差点を西に入った南側は、雑木より竹が多いが当時の様子が今も残っている。鷹が峰(たかがみね)にも旧土居町と云うのがあり、史跡公園としてよく整備されている。
散策のおりに一度訪ねてみられる事をお勧めする。 TY |
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