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新大宮通りを北山から北へ商店街を5分ばかり歩くと、左手に小さな鳥居が見える。自動車でなら見落としてしまいそうな程の間口である。
電信柱に隠れるように建つ白く塗られた木の柱に「航空交通安全守護」とある。こんな所にと何気なく入ってみると、なかなか大した神社である。
この久我神社(くがじんじゃ)、古くは「こがじんじゃ」とも読まれた。
境内は樹齢を重ねた樹々が繁茂しこじんまりとした本殿と拝殿を守っている。一隅にはご神木とおぼしき巨木が落雷にでも撃たれたのか、僅かに根本を残してしめ縄をまとっている。
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由緒によると神武天皇が東征のおり八咫烏(やたがらす)に姿を代え道案内をした祭神が、後にこの地に居を定め開発と殖産興業に努め賀茂県主族の祖神となったとある。
山城の國風土記には大倭の葛木(葛城鴨神社)から山代の國の岡田の賀茂(岡田鴨神社)を経て久我の國の北の山基に居を定めたとあり、この地に賀茂族が定住した始まりを表すのであろう。
航空交通の守護とは八咫烏のいわれに因るものである。 |
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この神社は鎮祭当初から「大宮(おおみや)」と呼ばれており、その前を通る道を大宮通りと呼ぶようになった。
旧大宮通りはこの神社のすぐ西を通って上賀茂・西賀茂へと続いており「大宮頭(おおみやがしら) 大宮通りの始まるところ」にあたる。
一説ではある時期紫野の斎院(むらさきののさいいん)がこの辺り置かれたともとも云われ、お社の背後の杜(もり)の佇まいにはさもありなんと思わせる雰囲気がある。
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散策のおり訪ねてみられることをお勧めする。 TY
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